2012年11月5日

知覧・特攻隊の残像(3)

 

 知覧の特攻平和会館で私が発見できなかったもう一つの情報は、特攻隊の戦果である。彼らの最大の標的は空母だった。空母は、沖縄や日本本土を攻撃する戦闘機の基地として使われるからである。したがって散華した航空兵の遺書には、「空母を沈める」という言葉が頻繁に登場する。彼らは、この目標を部分的にしか達成できなかった。

 空母には2種類ある。戦闘機だけでなく雷撃機も搭載できる大型の正規空母と、比較的小型で低速の護衛空母だ。特攻隊はセント・ローなど3隻の米軍の護衛空母を撃沈したが、正規空母を撃沈することはできなかった、もっとも、サラトガなど4隻の正規空母に甚大な被害を与え、終戦まで使用不能にしたため、米軍に痛手を与えたことは間違いない。米海軍の艦船20隻が特攻隊によって沈められているが、その大半は、駆逐艦や輸送船だった。

 特攻機が敵に損害を与えた比率については公式の統計がなく、様々な説がある。米軍の統計によると、1944年10月からの半年に、米海軍の視界に入った特攻機は356機だったが、その内艦船に体当たりできたのは140機、至近距離で爆発して損傷を与えたのは59機だった。つまり視認された特攻機の内、損害を与えたのは56%で、残りは対空砲や敵の戦闘機によって撃墜されている。日本軍はフィリピン初期の特攻機の命中率を、30%未満と推定している。出撃した特攻機の内、敵に損害を与えた比率は5%から20%という数字もある。

 1945年4月の沖縄周辺の戦闘では、日本のメディアは特攻隊が「米戦艦2隻、巡洋艦3隻、小型艦船57隻を撃沈し、米空母5隻を含む61隻を撃破した」と伝えたことがあるが、明らかに戦果を誇張している。

 非情さで知られるナチスドイツの軍隊ですら、人材のロスを防ぐために、確実な死が待つ特攻作戦は採用しなかった。もちろんナチスも終戦間際に、少年兵に携帯式対戦車ロケット砲を持たせてソ連の戦車部隊に戦わせたことがある。これも無謀な作戦だ。しかしドイツは日本と違って、兵士が操縦する戦闘機や潜航艇を体当たりさせる作戦だけは取らなかった。

 国を守るために南海に散った特攻隊員の志は、尊い。しかし大西中将すら一時「統率の外道」と呼んだこともある作戦を企画、実行した軍部の責任は重い。

(文と絵・ミュンヘン在住 熊谷 徹)筆者ホームページ: http://www.tkumagai.de